閑静な住宅街の中におどろおどろしい雰囲気のフェンスがある。これは一体なんだろうか….
府中米軍基地跡地の小話
実はこれ米軍基地跡地への入り口の一部。
正確にいうと旧帝国陸軍(つまり我が国)の所有基地だったが、終戦後は米軍の元へ渡り米軍在宅地等に活用された。
1970年代に通信施設以外が日本に返還された。
現在は広大な敷地の一部を自衛隊用地としている。(この近くにも自衛隊の基地があるんです。)
しかしその利用分も1/3に留まり、残りの広大な土地は現在荒廃した雰囲気を醸し出しているのだ。
未だ処分保留地のような形で再利用する計画が出ては消え….出ては消え….の状態。
1982年に浅間町一丁目の全域部分の1/3を財務省、1/3を東京都、1/3を防衛省….と分けたようだが現在でも配分は変わらないのだろうか。
看板は英語が記載されており、かつての雰囲気を感じる。
錆がいい感じ。
広大な土地は隙間なくフェンスが敷かれ一切立ち入りができない。
謎の公園
基地沿線をぐるっと回ろうとしたら変な公園があった。
ここも立ち入り禁止区域と思ったが、特に立ち入り禁止ではないようだ。
フェンス内の敷地にゴミを捨てる人が多いのだろうか。
公園までも荒廃している….遊具はゼロ。
砂のない砂場。
壊れたベンチ。
ターミネーター2 内の戦争後の世界に出てきそうである。
サラ・コナーが見る悪夢で出てくる公園ね。
敷地はそこそこありそう。ボールが基地内に入ったら完全に取れない。
用具入れだろうか。
そろそろ行こう。
少し進んだところ。右端に建物がある。
原生林の如く草木が生い茂り自然に還っている。
草木が枯れたら隠れた建物もよく見えるかもしれない。
通信塔の一部。
高さ107mのマイクロウェーブ塔とはこれのことだろうか….
中に入ってみたいなぁ….完全国有地なわけで見つかったら即人生終了します。
あとたまに原付バイクに乗った警備員が巡回までしているという厳重っぷり。
ここで基地沿いに歩くことが道的に困難になった。寄り道していきます。
慈恵院
日本最古のペット霊園とされている。
和風な建物。完成な住宅街に相応しい。
建物の一部が?
これはなんだろう。
岩壁のように加工されている。
静かな雰囲気に包まれていた。
昔ながらの旅館通りのようだ。
建物が旅館っぽい。
敷地内の一部は開発中だろうか。
再度基地周りへ出た。
….基地沿いに探検してみよう。
国有地と書かれた看板。ちなみにフェンスの合間から撮影しているだけでここら一帯も全てフェンスに囲まれているぞ。
鬱蒼。
パラボラアンテナだ….!
かなり有名だが未だにどこからがうまく見えるのか不明である。
ちなみに令和2年3月府中市は府中基地跡地留保地利用計画を国に提出したようだ。
今後この姿が見れるのもあと少し….?
それともまたゴタゴタで先送りになるのか。
動向に注目していきたいですね。
基地跡再利用の検討経緯
平成20年10月
国家公務員宿舎及び国立医薬品食品衛生研究所の移転を前提とした利用計画を国に提出
平成24年9月
国立医薬品食品衛生研究所及び国家公務員宿舎の移転中止
平成28年2月
府中基地跡地留保地活用基本方針策定
平成29年2月
府中基地跡地留保地利用計画素案策定
平成29年10月
府中市基地跡地留保地利用計画検討協議会への諮問
平成30年3月、7月
市民ワークショップの開催(全2回・4日間)
平成31年3月
府中市基地跡地留保地利用計画検討協議会からの答申
令和元年6月から8月
市民アンケート調査・ポスターセッションの実施
府中基地跡地留保地利用計画策定のための「民間提案募集」の実施
令和 元 年12月から令和2年 1 月
パブリック・コメント手続による意見募集
府中基地跡地留保地利用計画案に係る説明会の開催
令和 2 年2月
府中基地跡地留保地利用計画の策定
令和 2 年3月
府中基地跡地留保地利用計画を国に提出東京都府中市ホームページから引用
今回のルート
….次回は建物編。その②に続く。