普段映画の感想や考察は書かないし、詳しくは無いので全ての語尾に【しらんけど】がついていると思い読んでほしい。
また解説や裏設定、考察系も何も読んでいないので(読みたくない)突拍子もないことを書いていても個人の感想として捉えてほしい。
考察と呼ぶにはあまりに稚拙だが、映画を見て思ったことや感じたことをそのまま書いていきたい。
また、この記事には役所広司演じる【すばらしき世界】と【PERFECT DAYS】のネタバレが含まれるので、まだ見ていない人はブラウザバック推奨です。
見終わって感じた感想
この作品を見る前に同じく役所広司の演じる【すばらしき世界】を見た直後だったので、向こうの作品では悲しい最後を迎えた主人公のパラレルワールドを見ているようで、なんだか救われた気持ちに勝手になってしまった。
個人的な話になるが、PERFEKT DAYSの主人公の暮らし方は、まさに現在の自分にとっては理想的とも言える生活だった。
【清貧】と呼ぶにふさわしい生活ルーティン。
厳密には日常生活に毎日結構お金(日々の飲み代、銭湯、毎日の缶コーヒー、コンビニで買ったと思われる昼食セット、コインランドリー等)を使っていそうなので、そういった意味では【貧】とも違いそうだが…
とにかく主人公(以下平山)が日々の小さな出来事にも幸せを見つけ出し、ニヤリと1人で喜ぶ様子が微笑ましい。
私を含め現代人の多くに欠けてしまった感情だと感じた。
現代にはあまりにも娯楽要素が多すぎる。
スマホ、テレビ、動画配信、便利な家電…etc
日本は幸福度が低いとよく言われているが、大多数の人が日々の小さな幸せを見つけられない。
埋もれてしまったり、もしくはその程度ではもう脳の報酬系が反応できない体になっていると思う。
そんな疲れた現代人が多いからこそこの映画は評価されたのではないだろうか。
※フィルマークスに記録を残す際に受賞タイトルだけ見てしまったのだが、第47回アカデミー賞、第76回カンヌ国際映画祭を受賞していた。
私は昭和の時代を経験したことがないが、生活スタイルは昭和後期あたりで止まっているような家具家電。
平山の家を見る限り、この話は現代の話ではないのかな?と感じたほどに令和要素が排除されていた。
それでいて本人は全く不便だと思っていない。
この理想的な生活にスマートフォンは不要なのだ。
彼の周りの小道具たちも魅力的だった
平山の使用している道具たちは、どれも現代では不便と思われるような代物だった。
しかし彼がそれらの道具を大切にして非常に長く使用していることが映画全体から見てとれた。
それがまた素晴らしいと感じた。
溢れるほどの物が家にあり、次から次に出る新作。
家にある物より性能や、見た目が良いものを求めて購入を繰り返してきた私を含めて多くの現代人に刺さる。
使い古された寝室のライトは、白熱球だろう。
触ったら熱そうだな…とか思ってしまったり。
調節の時にギコギコうるさそうなあのライト。
似たものを祖父が長く使用していたので、フラッシュバックした。
また車も鍵をドアに刺しあけるタイプ。
リモコンキーの車が多くなってきた現代では懐かしさを感じる。
多くの人の印象に残っているであろうカセットテープも良かった。
物が極端に少ない平山の部屋をよく見ると、カセットテープや書籍は結構な点数があるのに気が付く。
また押入れの中にも現像した木漏れ日コレクションが缶に保管され高く積み上がり、彼の趣味に関連するものは特段減らしていない様子が伺える。
ただ単に無趣味で物がないおじさんの生活でないのが、また魅力的だった。
むしろ平山自身は多趣味の部類かもしれない。
カセットは劇中でも話していたが、若者たちの間で今【熱い】ようだ。
そんなカセットを再生できる(これも現代では搭載している車は皆無)車に乗り込み、その日の気分に合わせた音楽をかける…
平山の趣味
先ほども書いたが、主人公が単に無趣味で物が少ないだけの人物ではないことが魅力的だった。
平山自身はむしろ現代人よりも多趣味かもしれない。
ざっと思い浮かんだものだけでも、カセットによる音楽鑑賞、読書、観葉植物採取&育成、木漏れ日写真撮影、仕事に使うオリジナル道具作り…また趣味なのかルーティンなのか、息抜きなのかは(おそらく全部)不明だが行きつけの居酒屋とママのいる小料理屋に立ち寄ることも挙げられる。
これ実はかなりレベルが高い趣味だと思う。
観葉植物の採取育成や写真撮影、道具作りなどのクリエイティブな趣味が半分あるからだ。
音楽や読書という消費的趣味と命を育てたり、作品を生み出す生産的趣味のバランスがよくその点も非常に羨ましいと感じた。
というのも現代では基本的に消費する趣味が多い。
【Netflixとお菓子があれば他の趣味はいい】これに類似した言葉が巷に溢れている。
受動的に待っているだけでも、娯楽が押し寄せてくるからだ。
多くの人が退屈はしないけど、どこか幸福感も感じにくいのはこの要因も大きいと感じる。
様々な便利なアプリ、ガジェットにより生産的趣味のハードルも下がってはいるが、精神的なハードルは非常に大きい。
例えば発信者側に立った時SNSはある種、生産的な趣味と言えるかもしれない。
しかし写真1枚にしてみても【拡散されるため】【映えるため】などより多くの人に見られたい、認められたいという欲求により苦しめられる人が多い。
これが現代において生産的趣味の精神的ハードルが高い大きな理由だと個人的に感じている。
作品を出すからには、認められなくてはいけないという呪い。
しかしそんなことは微塵も感じさせず、呼吸をするようにリラックスをしながらそれらを楽しむ平山の姿は眩しい。
押入れに高く積み上がった缶の中に、誰に見せるわけでもない写真を大量に保管している。
おそらく彼の作品を見ているのは現像する写真屋のオヤジくらいだろう…
それでいてクオリティにはこだわっている。
現像している写真をすぐさま開封し、取捨選択。
不要な作品は容赦なく破り捨て、お気にりのみ保管している。真剣そのものだ。
取捨選択は中々に頭を使うし疲労度も高い作業だ。
平山自身も思うことがあったり、集中できない時にこの作業を中断しているシーンがあり印象的だった。
彼にとっては毎日の仕事が趣味に近いだろう。
とはいえルーティンが崩れると温和で優しい彼でさえイライラした様子を見せるのが人間らしくて良かった。
劇中で彼があそこまで感情を出して怒ったのは、シフト調整がされなかった時くらいだろう。
しかし怒っていてもなお魅力的だったのは、バイトを飛んだ相棒(柄本時生)に対しての怒りじゃなかったことだ。
普通だったら(私だったら)飛んだ相手に対してイライラしてしまうかもしれない…平山は困惑はしていたものの、相手には怒っていない様子だった。
懐が大きい。
そして翌日には人員補充され日々のルーティンが戻るとわかるとすぐに【ニヤリ】として機嫌を取り戻しているようだった。引き摺らないのもまた素晴らしいと思う。
彼と周りの人間関係
彼自身は喋れないわけではないのに関わらず、極端にセリフが少ない。
唯一姪のニコとだけは饒舌に会話していたし、会話の運びや言葉選びからコミュ力が低いわけでもなさそうだ。
またママの元夫とも初対面ながら、励ますような、慰めるような…相手を気遣うコミュニケーションをとっていた。
無口な平山が少し元気におどけて見せているのが良かった。
それでも行きつけの仕事の相棒から飲み屋、スナックのママ相手でもほとんど喋らない。
しかし周りの人からはよく話しかけられ、気に掛けられている。
とても羨ましいことだ。
押し黙っていても表情豊かで思慮深い彼自身の魅力もあるだろう。
しかしこれは彼自身が積み上げたルーティンの賜物と感じた。
おそらく数回、数ヶ月では難しいだろう。
本屋でも飲み屋でも…数年単位でルーティン通りに通い続けたからこそ、あの幸せそうな空気感が両者の間に生まれたのだろうと想像できる。
信頼感だ。
席に着いただけで【いつものセット】が出てきたり、購入するたびに話しかけられたり、逆に写真屋では阿吽の呼吸で無駄な会話が一切なかったり…様々な切り口で彼を周りに人物との信頼関係が描かれていて魅力的に映った。
所謂いきつけというものを持たない私にとっては眩しい世界だった。
一方で妹や実家との関係性は複雑そうであった。
彼が世捨て人のような生活をしているのも実家との軋轢が関係していそうだ。
とはいえ妹との関係性は悪くなかったと思われる。
今も昔も平山の本質と性格は変わらずで妹に対する面倒見も良かったのだろう。
まだトイレ掃除の仕事をしているの?と聞く妹の目からは、いろんな感情を感じた。
なんでそんな仕事をとか、あの兄がなぜ…とか。
哀れみと落胆、悲しみ、失望、色々混じったような目だった。
食うか食われるか厳しい世界(?)で過ごしているであろう妹は兄とは住む世界が違うと自身の娘に話すほど。
実家が何をしているのかは不明だが、お抱えの運転手に黒塗りの高級車…
すばらしき世界のせいで実家の家業が反社にしか見えなかったが、資産家一家や政治家関連、実業家などだろうか。
いずれにせよ、実家の色々(面倒ごとや家業等)を妹に押し付けてしまったのかもしれない。
普段はそんな兄を許せない反面、優しく面倒を見てもらった恩や尊敬の念を抱いているからこそ抱擁の後、鼻を啜り泣いていたのかもしれない。
一方で兄である平山自身も泣いている。不甲斐ない自分に対してなのか、妹に申し訳ないと思う気持ちなのか…
根底に深い愛を感じたシーンだった。
最後に泣いたのはなんでだろう
ラストシーンの涙。
これはなぜだったのか。
私にはよくわからなかった。
その時にみる視聴者のメンタルによっても感想が変わってきそう。
何気ない毎日の始まり。
そんな今この瞬間の幸せを噛み締めた感動の涙かもしれない。
はたまた何気ない変わりない毎日の繰り返しに対する絶望の涙なのかもしれない。
役所広司の表情はどちらにも見えて、ただただ画面に釘付けになってしまった。