新旧並ぶとかっこいい。
これは普遍の事実。
コミックでも前作主人公が強キャラとして連載中の現作に登場したら盛り上がる。
ジャンプコミックあるある。
今回はそんな(?)トンネルを紹介していくよ。
始まりは古間駅(ふるま駅)
始まりは古間駅。
しなの鉄道北しなの線の停車駅。
ここも趣深い駅なのだが、写真を撮影するのを忘れてしまった。
とりあえず駐車可能区間が非常に多く大変助かる。
見ての通り、広大な駐車スペースが広がる。
かつては2面2線だったとのことで驚いた。
確かに…思い返せば対面にホームがあつたような…
踏切から撮影したこの写真。
確かによく見ると、線路がある形跡が!
複数だったものが単線になることもあるんだなぁと思った。
イメージとしては、道路のように需要があるから単線から増やすことが多いのかなって勝手に思っていたよ。
そんな古間駅から徒歩5分もすると、使用されなくなったトンネルが見えてくるぞ。
新旧並ぶトンネル
その名も旧戸草トンネル。
画像右側奥のトンネルがそれだ。
現役を引退し、現在では左側にあるトンネルが役割を引き継いでいる。
旧戸草トンネルを使用していた旧信越本線を簡単に説明するよ。
高崎線高崎駅を起点とし、軽井沢、長野、直江津を経由して新潟駅に至る327.1km。
とんでもない距離で驚きを隠せない。
その内の高崎駅〜直江津駅間は官設(国)によって開業した区間とされている。
信越本線といえば、あの超有名な群馬県の観光名所【めがね橋】も関与しているので、個人的に盛り上がった。
めがね橋には観光で訪れた事があるので感慨深い。
今回訪れた旧戸草トンネルは1887年(明治20年)11月に完成したトンネル。
137年前?!
調べてみたら日本の鉄道開業が1872年らしい。
いやはや、なんだか昔すぎてピンとこないレベル。
そんな昔から….鉄道ってあったんだね…(私はそんなレベルの知識)
その翌年の1888年(明治21年)5月1日に長野県内最初の鉄道となる関山駅〜長野駅間が開業。
旧戸草トンネルは日本で掘削された最初の山缶トンネルで、外国人技師に頼らず日本人技師のみで完成させたトンネルなのだ。
歩いてみるとその堅牢な造りに驚く。
トンネル内部の側壁は切石、アーチの部分は凍瓦を使用しているようだ。
当時は資材運搬に限りがあったため材料は現地調達されたそう。
切石は古間駅のすぐ北東に位置する薬師岳、凍瓦は飯網町(旧三水村)赤塩で焼かれたものが使用されている。
日本っていいなぁ(和風総本家)
それにしてもこの道。とても狭い。車同士のすれ違いはできないぞ。
素晴らしいトンネルですが、なぜ使われなくなったのでしょうか?
1966年(昭和41年)8月の電化時に断面狭小のため破棄。
電化と聞くと???って感じですよね。
もっと伝わるように言うと、その理由は【電車】
は?電車は電車やろがい!と思うが、当時は電車ではなかったのだ….
電化とは聞き慣れない単語ですが、列車の動力を【蒸気】や【内燃機関】から【電気】にする事。
つまり【電車化するにあたり、トンネルの高さが足らずに架線が張れなかったから】だそう。
ちなみに架線は架空電車線っていうらしい。
うーん、知らないことばっかり(小学生並みの感想)
架空電車線ってSF感あるね。
〜そして現在〜
線路は東側の新トンネルへ。
こちらのトンネルは、ほぼ当時のままの姿で町道として活用。
なんと道路として現役活用しているのだ。
この撮影をしている間にバイク一台と車二台がこのトンネルを駆け抜けていきました。
ちなみにトンネルの幅が狭いこともあり、車が来ると結構こわい。
おそらく歩行者の脇を通る車両側もこわいと思う。
車が来たら通行の邪魔にならないように、隅に寄って動かず安全にやり過ごそうね!
運良く待避所があれば避難が可能。
車同士はすれ違えない幅のトンネルが道路で使用されている光景は中々見どころがある。
ましてや、それが現役の道路など尚更。
それにしても鉄道関連の散歩は知らない単語や知らない事が多くて面白い….と心の中で思った散歩でした。
ちなみにトンネル掘削で出た残士は、戸草城の堀の埋め立てに使われたそうな。
こんな時からサステナブルな精神が….
流石である。
我が子との初トンネルとなった。
感慨深いぜ。
豆知識
2013年(平成25年)に土木学会推奨土木道産に選定。
トンネルシリーズはこちら。
トンネルシリーズ
おわり